手段の目的化について
ふと「手段を目的化した方が上達においてはいいかもなー」と思ったのでメモ
- 普通は目的のために手段があるという構造なので、目的が上位のレイヤーで手段は下位レイヤーにある
- あくまで手段は目的を達成するためのツールだという考え方
- でもこれだと、目的達成までに手段に取り組む時にやる気やテンションが下がりがち
- ちなみに、やる気、テンション、モチベーションは分けて考えるといい (https://kensuu.com/n/nbff827fa0dd6)
- 例えば、なにか取りたい資格があるとして、資格を取るための勉強は辛くなりがち
- なので、やる気やテンションを維持するために、「手段を目的化する」というのが有効かも?と思った
- 資格の例で言うと、勉強すること自体を目的にすると、辛くならないかも?
- 言い換えると「上達のプロセスを楽しむ」ということ
- 勉強の場合は、知識が増えたり、知識が前よりも取り出しやすくなったことを楽しむようにすると、「手段を目的化」できそう
- 「達人のサイエンス」という本がある。この本では繰り返しプラトー(習熟度合いが停滞する期間)の大切さが書かれている
- この本では上達を「終着点の無い旅」に例えて、そのプロセス自体を楽しむことが大切と書いてある
- 旅をしているとその時々で色々な景色が見えるように、上達においても自分のレベルに応じて見える景色が変わる。
- その景色の移り変わりを楽しむように、練習するのがいい
- ただし、目的を完全に忘れてしまってはいけない。そうなると習熟プロセスを楽しめても得られる結果が半減してしまう
- 「目的」を「制約」と捉えるとどうだろう?
- 人間は制約の中で生きている。自分のいる環境、残された人生、現在持っているお金など、その制約の中で色々と工夫する必要がある。
- 手段を目的化した場合、目的はそういった制約のひとつになる
- 資格の例だと、「○○の知識を得る」が目的で、「半年後に○○の資格をとる」が制約になる。
- つまり制約に合わせて勉強のペースをコントロールする必要がある
- 制約は精神的にプレッシャーが掛かるけど、手段が目的化していない状態に比べるとだいぶ取り組むことが辛くなくなりそう
ザーッとこんな感じ。自分の場合、ソフトウェアのエンジニアとしてのスキルアップが目的になるけど、 最近は「エンジニアとしての知識を得ること」を楽しむようにしています。